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2006年4月18日 (火)

[書評]自己組織化の経済学 番外編 アイドルへの投資は日本経済を上昇させるか? Nantettatte Idle!

やまぐちひろしさんは、アイドル投資で儲けているのだそうだ。

アイドルファンドでもうかったらしい話 by やまぐちひろしさん

アイドルを売り出す時に、みんなでお金を投資しようという、アイドルファンド、第1号の話なのだそうだ。これって、アイドルを売り出す初期にたくさんお金を使ってDVDを作るとか、宣伝を打つとかすると、リスクは高いけど、売れるアイドルを作れる可能性があるからみんな投資するんだよね?

とすると、先日のクルーグマン先生のDVDとVHSの話が応用できるのではないだろうか?

[書評]自己組織化の経済学 その1 ~ 断続平衡 ~ (HPO)

つまりこんな感じ。

Ideldanzoku01

「idle-heikou01.pdf」をダウンロード

これってわかりにくいかもしれないけど、世界には青山愛子さんと青山愛子さん以外のアイドルしかいないとしよう。このときに、青山愛子さんを応援する愛好家のシェア、数が与えられたとき、青山愛子さんの写真集とかDVDを置くショップのシェアを曲線Rとする。逆に、青山愛子さん商品を置いているショップのシェア、数が与えられた時の愛好家のシェアを曲線Hとする。この曲線Rと曲線Hが交わる点で均衡となり、アイドル愛好家とDVDなどを置いてくれるショップのシェアが決まるわけだ。

しかし、赤字覚悟で初期にファンドが入り宣伝活動をばんばん行うことによりショップなどでのシェアがあがり、普通C1あたりの低いシェアからアイドル活動を始めなければいけないところが、うまくすると一気に点L3あたりの高いシェアまであがることがありうる。そして、一旦上がると高いシェアでの均衡が持続する可能性が高いことが曲線の均衡点から分かると想う。

この辺をシグモイド曲線で近似したエクセルのファイルを作ってあるので、興味のある方は投資額の部分をいじってみてほしい。実際の投資額とか、投資効果とはまったくちぐはぐなので、投資の参考には一切ならない。あ、またこの記事は投資を推奨するものではないので、万一青山愛子さんにはまってしまったり、アイドルファンドに投資したとしても、私は結果に一切関知しないので、よろしく。

ええと、見にくいけどエクセルのスナップショットだ。真ん中のグラフが2つの曲線をシグモイド曲線で近似した様子を示している。

Idleheikou01

こういう低いシェアの均衡状態が、ちょっとした投資で次のように変わるのかもしれない。

Idleheikou02

「idle-heikou060418.xls」をダウンロード

んな!アイドルを売り出すのに、初期投資したからって長い目で見たとき関係ないじゃん!」と想ったあなた!するどい!そういうごく常識的な直観こそがが、私が興味を持っている部分なのだ。

十字の時:公共投資で日本は救えるか? by クルーグマン先生 (山形浩生さん訳)

■追記

コメント欄を斜め読みさせていただき、大変興味深かった。

そうなのである「セット販売商品」の場合は、バラ売りのときの「お得感」がそのまま販売者の売り上げにばけてしまうのである。 ([アイドルの経済学]モーニング娘。の経済学 )

今更感があるのだけれど、ではファンドでアイドルを買いあさってセット販売というのはいかが?って、最近アイドルファンドの話を聞かないけど、どうなってるんだろう?

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2006年4月15日 (土)

[書評]自己組織化の経済学 その2 ~動学マクロから履歴減衰~ Hamiltonian to Economics

全然まとまらないのだが、経済学と構造力学って似ているなって話を書きたい。

クルーグマンの「自己組織化の経済学」に出てくる景気循環のグラフを見て結構びっくりした。耐震ダンパーについての本に出てくるグラフとよく似ていたからだ。

クルーグマンが本書で非線形景気循環論を説明するために引き合いに出したグラフは、生産量と資本ストックについての関係を述べたものだった。

Hamiltonian06041501

建築の構造計算では、建物の振動をバネについた錘の振動のように扱うのだが、建物の変形角度とポテンシャルエネルギーとの関係のグラフがよく出てくる。塑性状態になった建物は、非線形、カオスとしかいいようのないような揺れ方をするのだが、そのエネルギーと変形についてのグラフがよくこの手の話に出てくる。

地震動応答解析のおはなし 第19話 「減衰について(その2)」 @ 構造ソフト

この辺を分かりやすく説明することは、私の力を大幅に上回ることなのだが、ハミルトニアンとかラグラジアンとか言われる動学の表現の仕方なのだというくらい単純化してしまえば、同様の関係についてクルーグマンと建物の振動の分析が同じ形式をしているといえる。

ま、とにかく非線形の現象を記述しているという程度のことなんだけどね。

ハミルトニアン @ wikipedia

手詰まりだし、数式をどうのこうのいじるだけのテクもないので、漫然とこの辺の話題をぐぐってみた。なぜかかなり高度な経済学のスレが見つかる。

2ch ハミルトニアンヲ文系ニ教えるスレ @ 2ch

押込隠居が必要な経済学者たち @ いちごえびす経済板

あまりに高度なので、私にはほとんど理解できないのだが、通常普通に経済学で教えられ、経済政策の基礎になっていると一般に想われている(少なくとも私はそうなのだと想っていた)ISLMへの批判から、ハミルトニアン、ラグラジアンを使った経済学の展開に関するヒントがいっぱいでてきた。その中でも、「動学マクロ」という考え方が面白かった。要は、「時間の矢」のようなミクロの粒子の力学法則、動学からマクロの現象を説明しようということらしい。

動学マクロ @ フィナンシャル・レビュー

福田慎一さんの説明によると人は「期待」を持つから、ますます解析が難しいらしい。期待は期待でも、期待と完全気体では扱いがずいぶん違うらしい。クルーグマン先生も、人々の期待が持つ役割から「日本のはまった流動性の罠」について書いていた気がする。

日本の不況と流動性トラップの逆襲 (PDF) by ポール・クルーグマン先生、山形浩生さん訳

どうも「経済は期待だ」という懐かしいセリフを言いたくなる流れになってきた。

でもまだ経済と期待について理解できていないので、まとまらないままキーボードを休める。「経済と期待」の関係についてもう少し理解が進んだら、またこの話題の展開についてトライしたい。

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2006年4月14日 (金)

寿命が長くなると絶滅しやすくなる? Population Simulator II

前回頭痛のために途中でなげだしてしまったシミュレーターに手を入れた。シミュレーションの設定パラメーターのせいだとは想うのだが、個体が生きられるセル(場所)が限られているとすると、子を産める期間に比べて寿命が長い条件設定の方が長期的には絶滅の可能性が高くなるという結果になった。また、これはあたりまえだが、あまり突然変異が起こりにくい十世代程度の短い時間間隔で考えると、潜在的に高い出産確率を持った個体の子孫が支配的になる。

「generation-sim060413.xls」をダウンロード

例によってエクセルで作ったということが特徴かもしれない。VBですら使っていない。

以前まじめな日本の人口の推移のシミュレーションを作るのに、統計を調べていてわかったのだが、今の日本の状況を想定して考えるとほとんど平均寿命近くまで人は死なない。交通事故だの自殺だのあったとしても、全体の人口の比で言えば1%満たない確率でしか年代別には死なない。また、特殊出生率というのは、結局年齢に応じて変化する出産確率の積分値なのだ。

この前提を考えながら、シミュレーションでは、個体の寿命と出産可能年齢の下限と上限を設け、年間出産確率を一定とした。男女の別を想定するとかなり複雑になってしまうので、単性生殖または1セルには必ず男女1つがいが入いるものとした。

Gene01

シミュレーション中の数値の意味は上の図のとおりだ。結果、実際のシミュレーションは、ひたすら長いエクセルの表となる。

Gene02

やはり、図では見にくいので、ぜひエクセルの表を直接見て欲しい

全体を俯瞰しやすくするために、個体数の変化と時系列の特殊出生率の変化をグラフにした。

Gene03

実は隣合うセルにしか「出産」できないので、子が「成熟」するまでの間に自分自身は出産上限年齢を超えてしまうから、2以上の特殊出生率はあまり意味がないはずなのだが、異常に高い数字がたまに出る。計算をなにか間違えているような気がしてならないのだが、私にはエラーを見つけることはできなかった。

上の画像の青いグラフが個体数の変化を示している。グラフ中で、途中で0になっていることが分かる。想定寿命を80歳に想定するとかなりの確率で500年の間に絶滅してしまう。たまたま寿命を60歳に設定してみたら、かなり絶滅を避けることができた。80歳寿命と60歳寿命で20回づつの試行を行い、t検定、F検定をしてみた。詳しくはPDFファイルを見て欲しいのだが、有意な平均値の差が出た。

Gene05

「generation-sim060413-01.pdf」をダウンロード

もしかすると、左右2個体より多くの子を産めるように設定すれば、それだけ済む問題なのかもしれない。最大の個体数を決めてしまっているのが間違っているのかもしれない。それでも、今回の設定で言えば99%以上有意に年寄りは若い本来出産可能な個体が子をなすことを邪魔している。寿命を長く設定した試行では、年寄りばかりの集団になってしまえば、全体が絶滅する確率が高い。

次に、当初の個体の出生率の差がどうなるかを調べるために、特殊出生率の平均が1.3程度の集団と、突出して高い出生率の個体がある場合とでシミュレーションしてみた。

Gene04

分かりにくいとは想うのだが、徐々に突出して高い出生率を持つ個体の子孫の占有率が高まり、平均出産率が高くなっていく。当然だが、全体として個体数が増え、そして減っていくという通常のパターンの後に、高い年間生存個体数が対象期間を通じて続く試行が多かった。

Gene06

こうしたシミュレーションにおいて、試行を重ねると分布が正規分布に近似していくと仮定するのは危険ではあるのだが、寿命の問題と同様にt検定、F検定を行った。

「generation-sim060413-02.pdf」をダウンロード

Gene07

ま、これはあくまでも私が勝手に条件設定をしたシミュレーションの話だ。現実とどれだけ適合性があるのかは、保証のほどではない。ただ、もし現実に敷衍することが許されるのならば、現在進行している少子化の原因は、高齢者がのさばっていて若年層が子をなす余裕と空間を持たないということに起因しているということだ。また、子を産まないことがどんどんあたりまえになって行っているが、40歳を超えた出産でも、逆に10代の出産でも特殊出生率をなんとしてもあげることが大事だというあたりまえの結論に達する。逆を言えば、子をなさない個体の遺伝子、ミームは将来消滅し、子を多く持つ能力を持つ個体の遺伝子とミームが将来支配的になる可能性が高いということだ。

もし、誰かが私の発言が偏見に基く差別発言であり、不愉快であると言うのなら、自分の遺伝子、ミームを将来に残したいのか、残したくないのか、今の人生をただ楽しく生きれればいいというだけなのか、自分に問うて欲しい。それでも、自分は子孫を残すことに興味がないというのであるなら、私を非難してもらってかまわない。

■追記 平成18年4月17日

hiraxさん、お取り上げ頂きありがとうございます。なんかしゃれにならなくなってきたので、フォローを少し。

誰のための今日なのか? (HPO)

なんというか、お年寄りは大事にすべきなのだとほんとは想っています。「子ども叱るな、来た道ぢゃ。年寄り叱るな、行く道ぢゃ。」という言葉は、本当に身にしみます。私自身は、論語を暗唱させられるとかかなり儒教的伝統の中で育ったので、こういう記事を書くこと自体抵抗があるのですが、今の日本の閉塞感ってものすごいものがあって、その閉塞感のひとつの結実が少子化なのだという気がしてなりません。他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、その辺はまたこのブログの中で少しずつ書きます。

■参照リンク
3年ではなく3世代必要な議論 by Danさん 

もはや犯人探しすらする余裕を、我々は失いつつあるのだから。

■追記 平成20年4月2日

なるほどぉ。やっぱり、そういう理論があるんだね。

家内:「Kに属する動物はケンカさせたら r より強いわよ。」

僕:「だろうね。」

家内:「だから限られた食物を奪い合うような状況では K は強いわ。でも K の弱点というのは例えば地球に隕石がぶち当たったりして気象が変化したりすると駄目なの。それは生命体の寿命が長いから急激に変わる外部環境に対して進化することで対応できないからね。」
参照

K

が日本の年寄りで、rが本来の若者たちなのかな。わびしい限りだ。

■追記 平成21年9月23日

「年よりが増えると若者が減る」ということを体得された方なのですね。

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2006年4月13日 (木)

テレビってなに? politocal correctness vs. politeness

うーむ、ページランクがぐんぐんさがっている。「HPO」で検索しても、英語版のHPOよりランクが下で、結果の2ページ目だというのはやばい。たまにはわかりやすいことを書かないといけないようだ。

今年は交通媒体にテレビ番組の広告がやたら多いような気がするのは、私だけだろうか?番組の改編時期とはいえ、某JRのホームの広告はすべてテレビ番組であった。これはテレビが広報機能を放棄しているとはいえないだろうか?言うまでもなくCMのクライアントは、広報、広告の一環としてテレビであれば十分に視聴され、認識されると信じてお金を払っているわけだ。そのお金が番宣のために交通広告に使われているのだとしたらいささか不本意なのではないだろうか?

もう少し深読みしてしまえば、新聞雑誌広告も反応が悪くなってきていることをテレビ局はよくわかっているのだと思う。「R25」や無料アルバイト情報誌が、新聞に織り込まれているのではなく、駅におかれているというのも理由があるわけであろう。もっといってしまえば、末端の新聞店が本当に折り込み広告を入れているか最近は疑問であると複数のメディア関連の方から聞いた。ネットの時代であるのに折り込み広告も、宅配の新聞代も値段が下げられないジレンマを感じているのではないだろうか?

しかし、某局のディレクターが私に「真実や事件の背後にある原因を報道することが大事なのではなく、視聴者がみたいと思う映像が撮れればいいんです」と断言したが、実際駅の広告を見ていてテレビとは結局報道ではなく娯楽なのだなと感じた。ま、某ディレクターさんは「politicaly correct」でもなく、「politely correct」でもなかったということで終わりにしてしまおう。

■追記 翌日

こんな記事を見つけた。

最も視聴する広告はテレビ CM 、新聞・PC 上のバナーが続く  @ japan.internet.com

やはり、テレビ優勢は続くのか?それとも、バナー広告の健闘をたたえるべきなのか?

PC 上のバナー広告(9.7%)は3位にとどまっているものの、雑誌(2.7%)やラジオ(1.9%)、駅の広告(4.6%)、DM やチラシ広告(3.7%)などを上回った。

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2006年4月 6日 (木)

[書評]自己組織化の経済学 その1 ~ 断続平衡 ~ S Curve

H18.4.12 追記

以下、当初書いた内容に間違いを発見し、強いショックを受けた上に、業務に時間をとられブログを更新できなかった。

[前回の内容はここから]



いやぁ、本当に面白かった。

4492312404自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか
ポール クルーグマン Paul Krugman 北村 行伸
東洋経済新報社 1997-08

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以前もっと既存の科学は、非線形・非平衡の科学の知見を取り入れて再構築すべきだとか、書いたような気がするが、いかに自分の無知をさらけだした言葉だったからよくわかる。

クルーグマンは、いとも簡単に自己組織化を目に見えるようにしてしまう。例えば、技術の優位性による普及率の均衡の変化を示すこのグラフだ。

Danzokuheikou01

PDFファイル
PowerPointファイル

これは、DVDとVHSのレンタルショップと家庭における普及のシェアを表している。普通、それぞれ直線であると仮定され、どちらか2つしかない技術であるとすれば、どちらかの技術優位性があがれば、なだらかに家庭とレンタルショップにおけるシェアがあがっていくということになる。しかし、直線でなく公文先生のお好きなS字カーブで書いてやるだけで、図だとDVDのコストだとか、画質だとかの技術優位があがるにつれて、どこかの均衡点からVHS市場が崩壊し、DVD市場の独占になってしまう様子が描かれているのがわかる。公文先生が、技術の進歩についてS字カーブにこだわっていらした理由がこれでわかる。直線的に進歩する技術では、なだらかにしか普及率が変わっていかないが、S字カーブであるなら、均衡点が一気に変化する様子を描くことができるわけだ。

と、内容を書こうとした時点で、お呼び出しがかかり出かけなければならなくなってしまった。続きは、正気を保っていられたら今日中に書くつもり。でなければ明日....


[ここまで]


なにで忙しかったかは聞かないでおいて欲しい。とにもかくにも忙しかった。とにもかくにも本題に戻ろう。これが正しい図だ。

Danzokuheikou02

PowerPointファイル

あまりにも恥ずかしいのだが、曲線の意味を取り違えていた。「DVDのシェア」と「VHSのシェア」ではない。R曲線を見て欲しい。当初、DVDを置いているレンタルショップが少なければ、家庭でDVDプレーヤーを置いているところも少ないはずだ。ところが、どこかの時点で臨界点を超えると、多分パーコレーション的に一気に家庭におけるシェアがあがる。ツタヤで急にDVDのソフトが増え、DVDプレーヤーまで売り出した頃を覚えている人は多いはずだ。H曲線は、逆に家庭でのシェアが増えるにつれ、レンタルショップでのシェアも増えるだろうという様子を示している。この2つの曲線が交わるポイントが、均衡シェアを示すことになるわけだ。つまり、VHSに負けて非常に少ないシェアに甘んじるのか、二者択一の世界に打ち勝ち、DVDが主流になるかのどちらかで均衡するということになる。

そして、曲線Hが次第に上側に平行移動していくということは、例えば技術革新でDVDプレーヤーが非常に安くなり、レンタルショップでDVDが置いてあるシェアが小さくとも家庭側では「安いから買っちゃえ!」ということで、より多くの家庭がプレーヤーを置くことになるということを示す。均衡点が一気に変化するという説明は↑のとおり。

ここで、このDVDの普及の様子をグラフで表せないか考えてみた。多分、家庭でDVDを買う動機は知り合いが買ったから自分もという、「人は人が欲しがるものを欲しがる」という心理であるに違いない。だとすれば、DVDの普及はパーコレーション的だと言えるだろう。パーコレーションでも、当初はすこしづつ、途中から一気にというロジスティック式的にシェアが増えていくに違いない。ロジスティック式を微分するとシグモイドになる。

シグモイド、べき分布、そして複雑ネットワークとしての生態学

シグモイド曲線で、クルーグマン先生の曲線をエクセルを使って描いてみた。

Sigmoido060412

エクセルファイル

わかりにくいかもしれないが、「s(x)の平行移動」という数字を少しづつ上げて行くと、2つの曲線の交点が(-5,0.01)あたりで交わっていた二つの曲線が(-2,0.32)に移動し、さらに上げると(8,1.3)にまでジャンプする様子がわかる。

シグモイドでこの曲線を近似しようとしたのが正しいのかどうかクルーグマン先生の意見を聞いてみたいものだ。

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2006年4月 5日 (水)

人類の競争力または「人間=最悪の環境汚染源」 Humanity

そろそろ本当にネタ切れだ。クルーグマン先生の本の書評をしようかと思っていたが、読了しなかった。

こういう時は、過去に書いた文章の転載をしてしまうにかぎる。

やはり、「環境問題」を真剣に考えるのなら人間の数を減らすことを考えるべきだと思う。

現在地球の資源の枯渇と自然環境の悪化が叫ばれている原因は、増えすぎた人類だと断定そて間違いない。もし、現在の60億の人類が野放図にその種を増やして30年しか居住可能な環境を維持できないのなら、これ以上数を人口を増やすのをやめて60年、1/6の10億に減らして180年とかの方が人類全体のためではないだろうか?

この問題を考えると、人類の種としての目的は一体何なのかということに帰着する。種としての目的をどう設定するかで、結論は全く変わってくる。「最大多数の最大幸福」を追求するなら、また「最大多数」が現存する人類一人一人のことを指すなら先のことは置いといて、このまま突っ走るべきであろうし、人類すべてが幸福な「涅槃」の境地に達することが目的であるなら直ちにすべての生産活動と生殖活動をやめて仏教の修業を始めるべきであろう。結論は目的により変わってくる。

私は決してクリスチャンではない。しかし、人類の目的を聖書に求めることができるかもしれないと思う。聖書の創世記で二つの命題が人類に与えられている。第一命題は「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」でこれはとうの昔に達成してしまったといえる。第二命題とは、「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべてのすべての生き物を支配せよ」という言葉だ。「支配する」と言うことは、「管理する」すると言うことではないだろうか?創世記の昔から人類には環境問題を解決すべき責務があるということにはならないだろうか?であるならな、責任をもって人類の数をコントロールすべきであると考える。

すでに人類の人口は60億を超え、カロリーベースで消費食料が生産を追い越すのはもうまもなくであろう。西洋人が肉を食うのをやめてももう食料が足りなくなる時代はもうすぐだ。そこで改めて問われるのは、資源と経済力の分配の問題である。それでもやはり共産主義的な分配方法がいいのか、自由主義経済がいいのか、血と血をかけて争われる時代がまたくるのではないか? 

うーん、我ながら混乱した文章だ。かなり、一部の思想の影響を受けていたのだと、いまさらながらだが感じる。ただ、人類の行く末を考える時日本の少子高齢化とは、嘆くべきこことではなく、人類全体のゆくべき未来を先取りしているのだと言えはしまいか?

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2006年4月 4日 (火)

Unspotted "Made In Japan" Products

ほったらかしにしていた英語の練習ブログが、"Featured Subscriber"というので一瞬取り上げられたのに気をよくして、昨日の記事英訳してみた。ま、我ながらしょーもない翻訳だが、新しい記事を書く元気もないので、転載してしまう。

I enjoyed reading 5th, April Issue of Newsweek Japan. The featured article titled "NIPPON DAISUKI! ---We Love Japan!---" focused the new meaning of "Made In Japan." As subtitled "Anime and Manga are Old! Neo Japanese Culture Fascinates the World," the article intorduces various "Made In Japan" products that got popular outside the Japan with new usages. SUDOKU got popular in England for training brainpower, a famous actress loves disposable pocket warmers for her painful period, a high-grade KARAOKE compartment in London is the newest and most cool entertainment. Some American girls regard YAOI MANGA, the Japanese homosexual boys story, as "liberation from bondage of gender for women." It seems those "Made In Japan" products set the new way of lives.

Thinking of Japanese style of life, I found I am surrounded by quite unique not-high-tech "Made In Japan" products that I can not think of any counterparts in other world. However, the Japanese companies are enthusiastic in exporting high-tech products and are not interested in the value of Japanese traditional culture and modern life style of the Japanese. There are much business chances because any marketing textbooks tell us selling our uniqueness is the key for success in any business. The standardizations of shipbuilding, iron manufacturing, and semiconductor foundries are quite completed now in the 21st century. Among those once productivity-oriented industries, Japanese companies can not be the unique. Any companies in the world can get the knowledge of production operation and set up factories.

On the other hand, for example, you might start to sell 100% pure KONYAKU as an ultimate diet food. The Japanese people should look back their culture and traditional product in the light of worldwide marketing. They must look aound themselves as if they were foreigners.

During Edo period, the Japanese reached cultural height under long-lasting economic stagnation. As we, the Japanese, must face the aging society with few children, they might find many cultural values and wisdoms in the Japanese history and low-tech products.

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2006年4月 3日 (月)

「日本製」というブランド Variety for Enjoying Life

旧聞になってしまうが、4月5日号のニューズウィークの特集、「ニッポン大好き」を読んだ。サブタイトルの「アニメやマンガはもう古い、ネオ日本文化に世界が夢中」という言葉通り、脳を鍛えるトレーニングとしてのSUDOKUから、生理痛対策用具としての使い捨てカイロ、クールな娯楽としてのロンドンの高級個室カラオケまで、日本ブランドがいかに世界で競争力を持ち得るのかを知った。やおいマンガですら、「女性にとってジェンダーの束縛のない世界」として評価されているというのだ。

考えてみれば、日本の製品というのは日本以外の世界と比べて特殊なものが多い。にもかかわらず、世界水準に会わせて製品供給しているケースが多すぎるのではないだろうか?マーケティングの鉄則は、自社でしかできない商品、流通体制、独自のサービスなど、独自性をいかに発揮することだ。これまで日本が輸出してきた、造船、半導体、自動車など、工業製品はあまりに標準化がすすみすぎていて、日本独自という商品にはなりえない。案外、これから純度100%の寒天を「日本製のダイエット食品」として売り出せば、日本独自の製品として受けるのではないだろうか?

逆を言ってしまえば、日本人は、日本独自の商品についての意味を見直すべきなのかもしれない。寒天やかんぴょうなどいままでの価値基準を離れて、例えば外国人がはじめてその商品を見るような気持ちで見直すとブランド商品化になりうるものは多いのではないだろうか?

日本は元々成熟社会を江戸時代に経験し、技術革新ではない、文化による多様性の豊かさを享受してきた国なのだ。そもそも、日本語を使っていると言う独自性自体かなり今後価値をもってくるように私には思われる。少子高齢化していく中で、「日本製」の意味を素直に見直したい。

■参照リンク

【Cover Story】ニッポン大好き @ zassi.net

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2006年4月 2日 (日)

ネット界隈という新たな生態系 A New World Order

あまりにも当たり前だが、うらみがましいことを言ってしまった自分のばかさ加減に自分であきれる。いつかまた新たな展開があり、新たな心境になれたら報告したい。

そんなことは置いておいて、ふと昨今の「事件」をひとつ、ふたつ考えてみれば、ネット界隈が次第にリアルを補完するものになってきているとはいえないだろうか?

PSE問題を詳細に追えているわけではないのだが、これまで日本のリアル界隈において「業界団体」というのが「国民の総意」を代表することが多かった。多分、今回の騒動も相当担当のお役所は事前のヒアリングや公聴会、パブリックコメントなどを「業界団体」に求めた上で制定した法律であるので、当初「変えるつもりはない」とはっきり言い切れたのだろう。

しかし、構成員の高齢化や団体の組織率の低下や、ウェブ関係の企業などの新興勢力の台頭により、すっかりこれまでのスキームが役に立たなくなっていることに気づかない人がいたのだろう。一方で、今回、反PSE勢力がネットを経由してチカラを増したように感じるのは私だけであろうか?

敷衍してしまえば、否定的なものであれ、肯定的なものであれ、ネット上での村八分やら、批判やら、コメントスクラムやらを含めて、ネット界隈に新たなチカラが生まれてきているのかもしれない。このチカラは、リアルでは非常に利害の調整や意見のとりまとめに時間とコストのかかる「国民の総意」の形成をごく短時間でシミュレーションし、リアル界隈を先取りし始めているので、チカラを持つのだといえる。そもそもお役人はみな優秀なので口うるさい「国民」が集まっていて、比較的集計しやすいネット界隈と相性がいいのではないだろうか?

つまりは、ネット界隈を生態系なのだと見たと時、そこには、食ったり食われたりという関係が生まれて当然なのだ。そこでは、当然敗退し、ネット界隈から排除される人格も発生するだろう。実際の生態系と同様、遺伝子=ミームがその伝播と子孫の存続をかけて日々闘争を繰り返しているのが、ネット界隈であり、ワイルド・ワイルド・ウェストなブログ界隈なのかもしれない。

クルーグマンの「自己組織化の経済学」(ISBN:4492312404)を読んでいて感じたのは、この先にある世界の恐ろしさだ。多分、金融の世界がアービトラージュを世界中で繰り返しながら、適応度地形の捕食関係とリアルでの資源配分を最も先取りしている。もし、ネット界隈がますます参加者を増やし、高度化していけば、ネット界隈での敗北が大勢ではリアルでの敗北を意味するようになるかもしれない。優秀なお役人が政策を匿名でマスコミにリークするのではなく、巨大掲示板や匿名ブログに大まじめでリークするようになるあたりが一つの分岐点となろう。もっと飛躍してしまえば、この時点で日本の都市集中が瓦解し、金融における土地本位制が意味をなさなくなる。ネット界隈にまともに参加できるインフラさえあれば、世界中のどこに住んでいても日本経済の大勢を決する意思決定に参加できるようになれば、来るべき少子化の時代に予測される都市部におけるインフラのメンテナンスコストの爆発による都市部のスラム化と相まって、都市部の、ということは日本全土の土地価格が下落し、ネット界隈における適応度あるいは競争力こそが一番の経済的価値を持ちうるようになる。

4492312404自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか
ポール クルーグマン Paul Krugman 北村 行伸
東洋経済新報社 1997-08

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土地でなく、金融資産でなく、旧来の意味でも資金力でなく、企業あるいは個人の信用力、競争力が経済を決する日が来ないとはいえない。

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2006年4月 1日 (土)

[書評]キリストの勝利 Victory Over Roman Empire?

結局、「ダ・ヴィンチ・コード」は十分すぎるほどハリウッド的エンラーテイメント小説だった。背景には、キリストの教えがカソリックという世界宗教に変質していく過程での史的事実に基づくミステリーがあった。一方、「キリストの勝利」は、カソリックがローマ帝国の国教化されていく過程そのものを描いていた。しかし、どちらを読んでも何故キリスト教がカソリックになった理由に肉薄できる気がしない。私が単に無知だというだけなのだろうが、なにか言及されていない流れがあったような気がしてならない。

4103096233キリストの勝利 ローマ人の物語XIV
塩野 七生
新潮社 2005-12-27

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「キリストの勝利」に登場するアンブロシウスとも実際に会っているアウグスティヌスについて松岡正剛さんは、こう書いていた

なんとも三位一体論とは恐ろしいものである。これは小声でいうしかないが、こんなことはむろんまったくのデッチ上げであり、しかも最も神聖な論議を尽くした末の成果だったのである。アウグスティヌスはそれをいっさい引き受けたのだ。ぼくにはいまもって、一人でこのことの秘密を告白する勇気をもちえない。

アウグスティヌスにおいて体系化された教えが、三位一体だというのが、カソリックの成立においてとても重要だ。三位一体というのは、祈りのたびに唱えられる例の「父と子と精霊の御名において」というやつだ。そして、この祈りの背景に松岡正剛さんが指摘するように強引に思想化したための「秘密」があるのだとすれば、重大な問題だ。また、「キリストの勝利」によれば、国教化していく中でギリシア・ローマの神々だけでなく三位一体派以外が迫害されていく様子が描かれている。

そして、「異端」であろうと「異教」であろうと、公的であろうと私的であろうと、それに関係するすべてのミサも祭儀も禁じられ、これに反した者の全資産は没収され、国庫に修められると決まった。そして、それは実に厳密に実施されたのである。(中略)だが、聖職者・一般信徒の別なく、幾度となく違反を重ねる者には、死刑さえも待っていたのである。キリスト教徒でいながら同じキリスト教徒から迫害を受け、悪くすれば殉教すると言う現象の始まりであった。

「ダ・ヴィンチ・コード」にもどって、非常に下世話な話しをすれば、教祖といわれる存在は昔からカリスマ的であり、異性から圧倒的な好意をもたれるくらい魅力的であることが多々ある。キリストも例外ではなく、女性信者は初期の普及に上でとても大事な役割を果たしたにちがいない。しかし、そうした女性原理的要素がカソリックが世界宗教として確立していく上では排除されたのだという「ダ・ヴィンチ・コード」の主張もこうした歴史的文脈において理解できる。

ここで大胆に類推してしまえば、当時のローマ人は、それこそ「経済人の終わり」で描写された第一次世界大戦後のドイツの人々に近い状態であったのではないだろうか?どうも経済も最盛期を超え期待できない、不敗を誇ったローマ歩兵も騎馬族の蛮族相手に精彩を欠いている、自分達の利害調整をゆだねた人格であるローマ皇帝の統治能力もかげりがみえ、税は細かく高く、官僚主義がはびこり、ローマの神々も救いをもたらしてくれない。こうし深い絶望の中終末論的側面を持ち、愛を口にしながら女性原理を否定せざるをえなかったという矛盾を抱えたまだ新興宗教でしかなかった現在のカソリック教会につらなるキリスト教の一派がたまたま強い権威を実現させてしまったという「事件」であったのではないだろうか?

カソリック教会が強かったから西欧文明が19世紀以降世界で派遣を握れたというわけではない。シルヴァーバーグの「永遠のローマ」シリーズではないが、暴君が時折出現する可能では大であったにせよ、ローマ帝国がカソリック化せずにいたら暗黒時代といわれる経済も、科学技術も停滞し、政治的にも分裂した1000年を経験せずに済んだかもしれない。

ローマ帝国は、明治以降の政府にとっての徳川幕府のように、現在も続くカソリック教会にとってアンチ・テーゼであり続けているにだろう。また、カソリックはまだまだ西欧の社会において大きな影響力を持っているのだろう。

私のような素人が手を出せるようななまやさしい問題ではないとよくわかっているのだが、どうしてもカソリックの問題がちょうど1年前のフランス旅行以来頭から離れない。

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