2006年3月 7日 (火)

腹が痛い...Internal Networks

私の今年の風邪は内蔵にくるらしい。本年二度目の腹痛にころげまわっている。ま、それでもいろいろな立場もあって仕事には出た。当然、仕事の効率は落ちる。通常なら平静にやり過ごせたかもしれない場面で少々感情的になったりする。

腹を抱えながらふと浮かんだのは、どなただかがおっしゃっていた「感情は内蔵に宿る」という言葉だ。自分の中であまり根拠のない絶望感を止めることができずにいる。以前、陰陽五行説かなにかで「木火土金水」と色、感情、内蔵が並べられているのをみたような気もする。内蔵の疾患の痛みとと爆発する感情とはなにか連関があるのではないだろうか。そう、この痛みは爆発を誘発する。

内因病証考 by 井上雅文さん

人体の法則性を明かす漢方の方程式「五行説」 by 古村和子さん

女たちは男が大した病気でもないのにこの世の終わりのような苦しみ方をするのを笑っているそうだ。ヒステリシスとかの語源を例に出さなくとも女たちの方がこうした原則を素直に理解しているのかもしれない。

なんというか内蔵というのはいわば0次のネットワーク、一番親しい友人なのかもしれない。このネットワークの中でべき乗則みたいのとか、SYNCみたいな現象とかがあってもおかしくないのかもしれない。この痛みと感情も近しい友人からのアドバイスと思って大事にしよっと。

■追記 翌日 AM8:20

お蔭様で回復しました。ご心配をいただいた方、ありがとうございました。下世話な話しですが、腸が回復するときっておならがいっぱいでるのですね。昨晩から恥ずかしいくらい腸が快調のようです。今朝はすっかり元気になり、やる気も回復しました。やっぱり、病気って全身のネットワークからくるメッセージなんですね。

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2004年6月19日 (土)

ベキ乗の法則とプロ野球1リーグ制

プロ野球で、オリックスと近鉄が合併することを軸に、1リーグ制に移行する可能性があると聞いた。私は、実は野球が全然わからない。正直、朝のニュースでイチローさんが活躍しているのを少し見るくらいで、日本のプロ野球に誰がいて、どこの球団が今勝っているのかもしらない。ただ、興行的に見ると巨人がダントツで成績をあげており、日本テレビと読売新聞の業績もかなり巨人軍の人気によるところがあることは知っている。長島前監督が辞任する前に、「長島をやめさせたら新聞も読売をとらない。テレビも日本テレビを見ない。これはおれだけじゃない。」と言い切っていた知人がいる。

これは、外部「不」経済が存在するとすれば顕著な例なのであえて書く。

話はベキ乗の法則なのだが、プロ野球もこの法則で興行成績を記述することができるのではないだろうか?これはあくまで仮定だが、結構自信がある。セ・パ併せて12球団ある中で、ざっと「20:80の法則」を仮定すれば、2球団ないし3球団がプロ野球関連の売上のかなりの部分をしめることが予想される。そして、最近の近鉄の収益確保をめぐる迷走ぶりをみれば、各球団を保持するだけで相当額が必要になり、まして勝ちにいくためには、さらに多くの契約金などを選手に払わなければならないというコスト高の体質にあるように思う。しかも、固定費としてかなりの金額がかかっているのであれば、最大80%を3球団がもっていって、残りの20%を9球団がとるということでは、上位3球団と下位9球団では、平均で(80%÷3)÷(20%÷9)=平均12倍もの売上の差が生じることになる。上位3球団で、固定比率が売上の仮に10%(>1/12)を超えるということであれば、これだけでたぶん下位9球団は赤字体質であるということになる。しかも、下位にいけばいくほどこの傾向はひどくなっていくはずだ。

たぶん、プロ野球選手は「霊能者より貴重な才能」なのだろうが、その非常に少ない割合でしか存在しないトップスターが大リーグに日本の1球団の年間運営費に匹敵するかもしれない契約金でひっぱられていくとしたら、客をひける選手を下位球団が陣容に加えることは不可能だといってよいのではないだろうか?バブル以前であれば、親会社がブランド価値をあげるという名目で、投資したのだろうが、現在の功利主義的な世の中でそんなことに大きな金額を使えば、そのまた投資家達からそっぽをむかれる。

全く門外漢なので、見当はずれかもしれないが、私には、こうしたベキ乗の法則に準じたようなじり貧な状況におかれているのが、いまの球団経営であろうと推測する。そして、私が「外部不経済」だと呼びたいのは、上位と下位とで大きな差が開く構造にある市場においては、運営あるいは生存に必要な費用すら下位の球団が得られないような状況だ。この構造は、1リーグになっても、それぞれの特色が地方フランチャイズということ以上に差別化できるのでなければ、巨人1球団だけが生き残るまで続く。そして、地方にも支える力はない。また、いうまでもなく巨人1球団だけではリーグは存在しえないだろう。

どうしたらよいのかは、私にもわからない。もしかすると、私はあまり好きでないが、何らかの規制、申し合わせというものが必要なのかもしれない。あるいは、差異を作るマーケティング努力なのかもしれない。

■用語の対比

ちなみに、べき乗則とかいたからには、適用条件があてはまるか検証してみなければならない。概念として、どのように対応するかの試案を下の表に示す。

<表1. プロ野球の構成要素 vs ネットワーク構成要素>

球団 vs ノード
試合 vs リンク
シーズン vs レイヤー
巨人 vs ハブ
観客 vs トラフィック
リーグ vs ネットワーク
球界 vs ネットワークのきわ

■追記 (平成16年6月26日)

用語の対比に、「リーグ」と「球界」を加えた。野球というゲームの魂が決まれば、リーグの形も球界の形もおのずと決まるのだと思う。これは、公理系がきまれば可能な命題、可能な真偽が全て決まるということと相関関係なのかどうかをいま考えている。

■参照リンク
[スポーツ]はてなプロ野球’04 by 小烏丸さん
組織の魅力と働くワタシのモチベーション・意欲 by onoさん
関西私鉄陣のユーウツ by akillerさん
[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)

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2004年6月 2日 (水)

[書評] チェンジングレーン

チェンジングレーン 

たまたま見たが、かなり自分にこたえる内容の映画だった。この前、自分で自分のことをリスク・ジャンキーなどと無責任なことを書いたことを反省させられた。自分で自分が犯したリスクの始末ができて、初めてリスクジャンキーなどと言える...

この映画は、2人の男がたまたまハイウェイで接触事故を起こし、それぞれの人生を変えてしまうという物語だ。お互いにお互いの意図を勘違いして過激に走ってしまう。見知らぬ相手に不信感をいただいたり、敵意をいただくと、限りなく過激にはしってしまうことがある。たとえば、「いいことをした代償は、いいことをしたという満足感だけだ」と、どこかの小説で読んだようなセリフを同僚に言っているときに、そのいいことをしようとした相手から「お前をめちゃめちゃにしてやる」という脅迫の留守電を聞いたら、あなたはどう行動するか?

ベン・アフレック演じる若き将来を嘱望された弁護士と、AAの集会でようやく酒をやめたサミュエル・ジャクソン演じる離婚寸前のさえない男とが、交互に写されるために、我々は神のような視点で、この映画を楽しむ事になるのだが、あなたがもし一方だけの情報しかなかったら、どうこの状況に対応しただろうか?やはり、相手に対してもうれつに腹を立てて、復讐を誓うのではないだろうか?リアルであれ、ネットであれ、自分の人生においては、ごくごく限られた情報した手に入れられない。不完全な、限られた情報で起こる悲喜劇がある。究極の人間同士の争いである戦争にだって、そういう側面がある。

あれ、そういえば役割を交替して相手の視点でものを見て、お互いを理解する母娘なんて映画を機内でみたな。あれは、なんて映画だったかな。

なぜか人は、お互いに復讐することにより、お互いの価値を引き下げることにとても熱心だ。相手を破産させ、相手に事故を起こさせ、相手を離婚させ、相手から子供を奪い、相手を...破滅においやっても、案外自分自身が破滅の一歩手前にいたりする。確か、英語だとこういう動詞を「ディスカウント(discount)」という。お金を数えて価値をはかるの逆だね。相手の価値をどんどん下げていってしまう。

告白してしまえば、この映画を教訓的にとらえてしまったのは、どちらも相手の言い分が自分の本音とたいして違わないことに気付きながら、相手をおとしめるような口ケンカを、この映画を見た直後にしてしまった。私は本当に反省がない人間なのかもしれない。

この映画は、案外シナリオがよい。「人生は綱渡りの連続だ。」とか、「ちがう、人間はルールの中で生きているんだ。」とか、「あなたはいい人だけど、いつもトラブルを招き寄せるのよ。」私にはぐっとくるセリフが多くあった。これらのセリフは、交流分析シナリオとか、スクリプトといった、自分の人生の結末は、自分で書いてしまっている、という考え方につながるように思う。

と、ここまで書いて、交流分析の基本中の基本、自由な子供、適応した子供、批判的な親、養う親、そして、大人、にそれぞれ対応する登場人物がこの映画には登場していたことに気づいた。それぞれ、非常に個性的な俳優さんたちが演じ分けていたのが、印象的だった。いい映画だね。

■参照リンク
チェンジングレーン 公式サイト
交流分析 by 中澤博康さん
チェンジング・レーン @ (楽天広場 映画の小部屋)
[書評]太平洋戦争 (HPO)

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2004年3月14日 (日)

[書評]ゴルフと人生 「バガーヴァンスの伝説」映画版

ひさしぶりに、のんびりした休日をすごした。ひさしぶりに、そして、前からのんびりとみたいと思っていた「バガーヴァンスの伝説」をDVDで見た。おもしろかった。外道といわれてしまいそうだが、全編に禅の息吹を感じてしまった。夜の月が水溜りに写る絵、雲が流れていく風景、ヘーゲンというゴルフプレーヤーが海辺でショットするシーン、ひとつひとつに禅を感じてしまう。ウィル・スミス演じるバガーヴァンス当人の台詞はまるで禅問答だと、誰でも感じるだろう。いわく、「あなたは自分のスィングを見つけなければならない。」、いわく「答えはフィールド(ゴルフコース)の中にある。」などなど。しかし、この映画についていろいろ調べたのだが全然禅は出てこない。人生の達人がつきつめていくと、いろいろなものがどこかで形はいっしょになるということなのだろうか?

これは、ロバート・レッドフォードの監督作品の三番目だと思う。DVDでの監督のインタビューで"story telling"(物語)とか"myth"(神話)とか自然とかの話題は出てきても、仏教の「ぶ」の字も出てこなかった。しきりに、現代では失われてしまった神話や物語の力を語っていた。それらが人生の答えを与えてくれたことを、少し前までどこにでもあった「人情」のような情緒とともに、話していた。

それでは、原作かなと思い調べたみた。そもそも、原作者のスティーヴン・プレスフィールドという人は、映画の脚本を書いたり、ギリシアの歴史に題材をとる小説をかいていたりする人らしい。原著は"he Legend of Bagger Vance: Golf and the Game of Life"というのだそうだ。実は、この原著の原題を見つける前に、この記事のタイトルを「ゴルフと人生」に決めていた。私のようなぼんくらでもそう感じるくらい、この映画の中には、ゴルフを通した人の生き方がある。いや、人の生き方とゴルフがつかずはなれずに描かれている。翻訳版の原作をこれから読む。読んでみてよければ、英語版にも挑戦するつもりだ。

若干、なんらかの痕跡があるは、この原作の最初にバガバットギータの言葉が引用されているらしいことくらいだ。それに触発されてから、"Gita on the Green : The Mystical Tradition Behind Bagger Vance"という本も出版されていて、この映画、原作とインド哲学との関連が分析されている、らしい。

この映画のホームページも良かった。(http://www.cannery.com/thelegendofbaggervance/)映画の台詞がフューチャーされたフラッシュがよい。著作権に触れてしまうのだろうか?一部だけ...

"Inside each and everyone of us is our own true authentic swing." :私達ひとりひとりは、正真正銘本物のスウィングを持っている。

"When we question the path we've taken, the answer can be right in front of our eyes."
:もし、私達の来た道を問う時、その答えは私たちの目前にあるのかもしれない。

"Play your game, the one that was given to you, when you game into this world"
:あなたに与えられたゲーム(ゴルフ)をプレイしなさい、あなたはこの世界にあそびに来たのだから。

わらながら下手な訳だ。もし、翻訳が間違っているようなことがあれば、どなたかご指摘いただけるとものすごくうれしい。

そもそも、ゴルフをプレーするというのは、とても人生を生きていくのに近いと感じていた。私はゴルフはものすごく下手なのだが、あまり緊張していない雰囲気で道を歩き、人と話したりしていても、ショット(スウィング)の瞬間にはものすごい集中力を要求される「感じ」くらいはわかる。ゆるゆるやっているようでも、礼儀正しさとルールは厳しく要求される。この、ゆるさと集中の対比がとても人生そのものであるように思う。普通に生きていても、酒をのんだり、いい加減に生活していても、仕事のポイントをはずさなければ生きていけるし、どんなにまじめに生きているようでも、ツボのような部分をはずしていては、人生の行く末はあやうい。映画の中でも、球聖ボビー・ジョーンズが美しいゴルフのプレーの仕方を見せていた。ギャラリーと雑談していた一瞬後には、グリーンのピンをしっかり見つめ、理想のショットをとことん追求する。美しい姿だった。人生を、このように緩急自在にすごせたらよいと感じた。

ウィル・スミス演じるバガー・ヴァンスがいう「答えはコース(フィールド、field)の中にある。」という台詞がたまらない。人生も実はその通りだと思う。我々は、人生において、なにか考えたり、恐怖ももったりしすぎるのではないだろうか?ストレートに、ある意味なにも考えずに、人生に対面すべきなのではないだろうか?それこそが、自分の中の本当の、正真正銘のスィングを見つけるということだと感じた。

■参照リンク
「バガー・ヴァンスの伝説」小説版 (HPO)

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