[恋愛論] 恋愛脳 love brain
先日、恋愛についての大昔の記事を怠慢にもそのまま再掲してから、A10神経のことをぼんやりと考えていた。なぜか「恋愛」のことが頭から離れなかった。そこで、この「ぼんやり」をまとめて以下のような図を書いた。
ご縁としか私には思えないのだが、この絵を書いた後に以前コンサルタントの太田啓之先生から「やる気を生む脳科学」という本をご紹介いただき、読んだ。著者の大木幸介さんは、日本におけるA10神経研究の大家なのだそうだ。
一応認知科学系の私としては、神経生理学についてはいっぱしのつもりだったのだがとんでもない思い上がりだったようで、本を読んでいるうちに目からうろこ状態になった。人間の脳がデジタル・コンピューター的な働きをする鞘につつまれた神経と、アナログ・コンピューター的な働きをする脳内物質と関係の深い鞘のない神経の2種類に分かれているということを知らなかった。そして、デジタルの方が言語も図形的な把握も含めて判断などを受け持ち、アナログの方がやる気などの情動や性愛に深く関係しているのだということもわかった。性愛と情動とやる気がたかだか3cmくらいしかない視床下部で隣り合わせになっていることも知らなかった。本文を少し引用させていただく。
「性欲の脳と他の欲を出す脳が共存していることは、性欲の強い人間のほうがいろんな旺盛な欲を持っていることになる。『英雄色を好む』というが、色を好む人間は、他の欲も強いから英雄になるということだ。」 (p.57)
化学物質の影響をうけやすい鞘のないアナログ型の神経であり、やる気や性愛に特に関係の深いA10神経の一部は、前の記事にも書いたように、車のエンジンのリミッターあるいはブレーキともいえる自己受容体がないのだという。そして、大木幸介先生によればリミッターがないために過剰な神経活動が生じて人間の創造性が生まれたのだという。
創造性と性愛への欲望を考えれば、想像力のかけらもない大人がいま生きているのを見かけるように、生存ということにより根幹からかかわる性愛の方が先に発生したのは間違いないだろう。デズモンド・モリスではないが、「裸のサル」=「性愛にとちくるったサル」というのが人間の本質なのかもしれない。言葉を変えれば、とちくるってしまった性愛への限りないドライブの副作用でたまたま人間の創造性がうまれたのかもしれないということだ。
そして、我田引水のそしりを恐れずに言えば、性愛と想像性の先にあるのが恋愛ではないだろうか?もう私の書いた一度↑の図を見てほしい。この図を書いたときに、書いた解説を引用することを許してほしい。
なんというか、自分の脳内にある「相手」というイメージのまわりに神経ネットワークが一気に形成されてしまうのが恋愛ではないだろうか?そして、いわば超伝導の電流の代わりに相手への思いという情報が神経繊維に流れつづける。
あまりに強く、早く神経線維に「恋愛」という情報刺激が流れると、イメージをフェアライト・コアにして電磁石が出来て、相手への思いという強い磁場を発生させてしまう。そして、もし同じようなプロセスで相手にもその磁石が出来ていたりすると、発生した磁場で一気にお互いに引き合うか、一気に反発しあうか。
たまに、最初はN極とS極がつりあっていたのが、片方の電磁石の極がいれかわって猛反発したり...
イメージが膨らんでいく。
多分、相手への想いという想像力とA10神経による限りない快楽という閉じたフィードバック回路が思う存分活性化してしまったのが、恋愛という状態なのだろう。
もうあまり書くべききことがないのだが、いってしまえば「『恋愛』って一つの創発現象かもしれない。」と感じる。恋愛を例にとるまでもなく、脳の構造って単に神経がネットワークだからという意味を超えて、ネットワーク的な性質が組み込まれているのだと思う。脳がいかにネットワークなのかは、また稿をあらためたい。
ただただいまは脳と恋愛とイメージが私の脳をかけめぐっているのを感じるだけだ。
■参照リンク
・恋の力学 三角関係編 by Jun Hirabayashiさん
・恋愛とは覚醒剤をのむようなもの by 吉本隆明さん @ 文-体・読本
・Love-able Computing: 愛するAI・愛されるAI by 河村竜幸さん、上岡隆宏さん via ありがとう by kinjoさん
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