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駅前と郊外が入れ替わる時って?

多分そう遠くない将来に、いやもしかすると「既に」かもしれませんが、駅前と郊外は役割が入れ替わるのでしょう。

たまに電車で移動するときに、駅の近くの分譲マンションがやたら目に付きます。そして、車でドライブしていると、市街地の周辺に巨大ショッピングセンターが出来ていることに唖然とさせられます。いつのまにか「駅前でショッピングして、郊外の家に帰る」というサザエさん的な生活スタイルは遠い昔のことになり、「通勤に便利な駅前のマンションに住み、週末に車で郊外のショッピングセンターに買い物に行く」があたりまえのものになってきています。

私自身が住む街は、歴史も古く商店街も奇跡的に現在機能しています。建築屋ですので、いくつも商店街の店舗の仕事をさせていただいてきました。それでも、周辺に少しずつショッピングセンターやデパートができ、しまいには超巨大なモールが来て人の流れも、車の流れも確実に変わってきているのを感じます。そんな中で旧来の商店街が生き残っていくのは、商店街の上の空間を利用して住む人の数を増やすことが基本だと感じます。

こうした流れの中では、街の魅力はなにかを自覚的に追求することがとても大切ではないでしょうか?「魅力」の追求には、決して同じ「正解」はありません。いままでなら「○○銀座」というような東京の模倣を地方の商店街で繰り返すことで、繁栄が約束されていました。これからの商店街の繁栄には、決して全国統一の一つの「正解」はありえません。

以前、長浜の話をすこしさせていただきました。

長浜の船浅さんってどなた?

長浜の商店街は一旦シャッター通りと言われるほどに商店街が荒廃したと聞いています。それが、「ガラス工芸」をキーワードに復活を遂げました。失礼な表現かもしれませんが、かなり強烈な個性を持った方がこの復活の指導的役割を果たしたと聞いています。

これから世の中の流れが加速し、ますます全国をまたにかけるフランチャイズのお店が増え、金太郎飴のようにどこにいっても同じ街並みが広がるのかもしれませんが、最後まで「建築屋の社長」としては街の個性を守るためになにができるか努力しいくことが自分の使命だと信じています。

ちょっと話がずれますが、私はこの世は人と人との絆で出来ていると信じています。以前、日本の人口がこれから減っていくときどうなるかとを考えていたときに、縮約していく社会の中では絆は分散するのではなく、より集中化していくだろうというイメージを持ちました。

べき乗の法則とランチェスターの法則

これまでの地域社会においては、人と人が安定的で濃密な絆で結ばれていました。これから人が少なくなっていく局面では、商店や会社の数も減るし、身近な人との別れも増えてしまうのでしょう。商店や人とともに安定した絆が消えてしまえば、残された人の絆は不安定な状態に陥らざるをえなくなります。それでも生きていくためには新たな絆を築こうとするでしょう。しかし、人の数が減っていく中では、新たに絆を築くにも選択肢は決して多くないでしょう。どうしても、縮約していく社会の中で既に大きな絆を得ている企業や人に集中そして、巨大な絆の塊りができるのだと私にはイメージされます。

最初の話題から外れてしまいましたが、極東ブログの記事を読ませていただいて非常に不安な気持ちになり、まとまらないまま思いつきを書きました。

改正中心市街地活性化法施行、雑感 by finalvnetさん

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