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住宅の平均寿命って?

少し前から、日本の住宅寿命は本当に短いのだろうかとい考えていました。ある方から、村松秀一先生のプレゼンのお話を聞き、納得できました。

結論に達する前に自分なりに調べてみたことから説明させていただきます。

過去の住宅の着工件数と住宅ストック(現存する住宅戸数)の統計をほうぼうからひっぱってきて表にしました。最近のデータが手に入らず、平成10年時点を基準にしています。


建築年代 経過 H10時点の 戸数 同期間 残存率
年数 構成比 (千戸) 着工数
不明 2.30% 1,156
1944年以前 65 3.80% 1,910 13,700 22%
45~59年 42 5.90% 2,965 5,018 59%
60~69年 35 12.50% 6,281 8,382 75%
70~79年 25 26.20% 13,166 15,310 86%
80~89年 15 27.30% 13,718 13,600 101%
90~98年? 10 21.90% 11,005 11,950 92%

「残存率」とは、それぞれの建築年代に建築された住宅が現在どれくらい残っているかを示しています。矛盾するデータが解決できず、90年代以降の建築物の残存率はどうも間違っているようです。本来限りなく100%に近い数字でなければなりません。

よく報道される日本人の「平均寿命」とは、その年に各年齢階層ごとの生存率(1-死亡率)を累積してかけていって、50%になる年齢階層を言います。同様にそれぞれの年代で残存している住宅数で言えば、すでに住宅の寿命は40年以上ということになります。

一般に「住宅の平均寿命は25年程度」と言われるのは、現存する住宅ストック5000万戸あまりを、ついこの間までの好況を背景に建築されていた200万戸で割った年数を言うようです。      

1960年代以降、特に70年(昭和55年)以降建築された住宅はほとんど壊されていないこともわかります。太平洋戦争直後の質の悪い建物は、昭和50年代にかなり解体されてしまった様子がエクセルファイルを見ていただけるとわかると思います。実際、平成のはじめころまでは年間100万戸単位で解体されていました。しかし、最近では年間40万戸程度しか解体されません。5000万戸を40万戸でわれば、100年を超えます。つまり、このままほっておけば100年住宅は結果的に達成されてしまう状況にあります。

こうした背景を調べてみた私としては、村松先生の言葉が身にしみます。

5000万戸以上の住宅のうち、建設年代で区切ると、昭和50年代以降に建てた住宅が60数パーセントになっています。昭和50年代以前の日本はいわゆるオイルショック前の高度経済成長期にあたります。昭和50年以降の生活は、例えば携帯電話が出てきたり、パソコンを持つようになったり、家庭用ビデオの普及などいろいろなことがありましたが、もう戦後的な貧しさから脱却して上昇していこうとする時代ではないわけです。住宅も昭和50年以前は激しく変わっていますが、昭和50年代以降はそんなに大きく変わっていません。こういう問題で論点になるのは、昭和56年に建築基準法の耐震基準が大きく変わったことです。新耐震と言われていますが、それ以前と以後の建物では則っている基準が違うので、昭和55年以前の建物は今の基準法に照らせば、耐震改修をしなくては適法ではないものがあるわけです。ただ、昭和56年以降に建てたものに限っても既にストックの半分以上を占めています。だから概括的に申しますと、過半数を占める住宅は十分な質を持っていると言えます。

「200年住宅」と住宅産業の未来

ここ数か月の疑問が氷解しました。村松先生、ありがとうございます。

■参照

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建築構造の常識とは?

「建築の構造の常識」ってなんなのか日々自問自答しています。自分に問わざるを得ません。finalventさんのエントリーを拝読して、改めてこれは難しい問題だと思いました。

建築構造がどうあるべきかは、建築基準法に書いてあるだろう、と一般に言われます。確かに、建築基準法に建築構造の「基準」は示されています。しかし、あくまで大きな枠組みが示されているだけであって、特に詳細については今回の改正で多くの規則が導入される以前には、基準の詳細を民間の団体の基準を暖用していていました。官庁の側には建築構造の専門の方があまり在籍されていないこともあって、構造基準の解釈の多くの部分は、構造設計者の「常識」にまかされていました。それではいかんというので、適合性判定という新しい制度を導入してまで構造のチェックを行うようになりました。いまから考えれば、建築確認は確認にすぎないという立場を守るためには、従来の確認制度とは別の制度を作らないと、これまでの「確認」制度とはなんであったのか問われることになるという判断で新制度の導入になったのかもしれません。

大規模な超高層建築物ならともかく、私ふぜいが建築屋の社長としてかかわる規模の建物に関して、これまで新しい制度で経験してきた感想としては、新しい制度は時間がかかるわりには、建築物の質が格段に向上した感じがしないです。また、建築を依頼される方の多くは、新しい制度で指摘を受けるような構造のごくごく一部分の「こだわり」よりは、コストパフォーマンスのバランスに関心を向けていらっしゃるように感じます。つまりは、建築構造は大騒ぎになったわりには、構造をがちがちに向上させることに関心が向いていません。正直、構造基準をこれ以上厳格化してコストがあがり、建物がたてにくくなり、既存の建物が不適格の烙印をおされるのはもちろん、増改築が不可能になることは社会的な負担以外のなにものでもないのではないでしょうか。まして、今回の不況でますます建築コストへの要望が官庁も含めて強くなっているように感じています。

東京財団というところが、構造強度などを選択的に選べるようにすればよいという提言を出しています(参照)。質的なランク付けは住宅性能表示制度(参照)ですでに実現されているといえばされているといえます。これも私ふぜいがかかわる建築物では、住宅性能表示を使うことはまれです。質的向上へのインセンティブをという提言ですが、人々の関心がそちらへ向いているのでしょうか?

昔、構造設計者のトップに立った方が「英国では建築構造の基準について大きな議論と問題があり、結局政府レベルでの規制はやめた」と書かれた文章を読みましたが、その後ネットでいくら探してもそのような話は出てきていません。どちらかというと、英国、米国のregulationとか、codeとかを読んでいて感じるのは、「コストとの見合い」あるいは「コストダウン」というやはりどこへいっても建て主側の関心はコストパフォーマンスなのだということです。

正直に言いまして、地震という非常に予測しにくく、べき乗則的なふるまいをする現象に対して絶対安全な建物というのは存在しないと私は思っています。地震が右から来るのか、左から来るのか、横揺れか、縦揺れかでも違います。構造設計においても、一定のところから先は建物自体が非線形なふるまいをすることが知られています。先の構造設計者が英国に託して発言したこともよくわかるのです。この事実は、耐震実験の様子を見ていてもよくわかるのではないでしょうか。

元に戻って朝日新聞の社説のここの部分がなにを言いたいかよくわかります。

ホテルの1階は強度の強い壁がないピロティ構造だった。阪神大震災でこのタイプの多くのビルがつぶれた。2階から上は、真ん中の廊下を挟んで部屋が向かい合っている。壁が廊下で分断されていれば強度は落ちる。 (参照

前回の建築士一級の試験でもこのままの構造体が問題として出題されていました。建築行政に関してこの手の建物を「常識はずれ」にする大きな動きがあることをよく示しています。しかし、このごく一部を問題にするよりも、建築全体として数多くの既存不適格建築物の問題や、密集地の問題、あるいは過疎によりメンテナンスできなくなる地域、コストパフォーマンスとしてみた場合の、ユーザーである建築主の利益をもっと大きなフレームで見る必要があるように私には思えてなりません。

改めて、建築構造の常識とはなんなのでしょうか?私もぜひこの問いをいろいろな方に聞いてみたいです。

■参照

「揺れるマンション」顛末記の中の方が書いていらっしゃることがとても救いです。

幸いにして、うちの役所は例外のようです。当初から、法規についての問題点を意識し、国の拙速とも思える対応とは一線を画していたように思います。ビジネ スホテルのオーナーと分譲マンションの住民とでは立場が違いますが、役所の担当者の姿勢は、いつも住民に有利とはいえないものの、納得できるものでした。

守るべきはあくまで市民生活であると私も思います。

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